蔓草雑話

あの話、その話、話題は蔓草のようにのびて。

わんこメロン

*

 他人と一緒に住むということ。同居。わたしは結構気にいりました。

 同居している台湾人のリンちゃんはワーキングホリデーで一年間日本に来ています。北海道の前は京都で働いていたそうです。一年の間に日本各地で働いて、というよりも「経験」していくそうです。

 

 一ヶ月後には、もう、お別れです。リンちゃんは別の酪農のお仕事をするそうです。そして、来年はオーストラリアにワーキングホリデーで行く予定なんだそうです。

 

 リンちゃんとはいつも一緒に夜ごはんを食べます。その時に、以前働いていたゲストハウスでの話やワーキングホリデーの話、台湾と日本の生活の違いなどの話、そして自分たちの将来の夢の話をします。

  

 リンちゃんはマレーシアやフィリピンにも滞在していたことがあるそうです。リンちゃんが見てきた世界の人々の話をまるでお母さんに絵本を読み聞かせしてもらう子どものように、私は聞いています。

 リンちゃんと過ごすようになってから、自分の未来について以前よりも色濃く思い描くようになりました。

 自分が望む未来は何なのか。

 そのために、何をしようか。

 ぐるぐると渦を巻くような未来予想ではなくて、なんだか辺りがすっきりぽっかりしています。

 昨日図書館で読んだ『百年の家』という絵本の影響があるのかもしれません。

 私が居て、私という土壌にあった植物の種を植えて、根気よく耕し育て、実りのときは皆で味わって。何年も何年もそうして続けていく。

 私は逞しく、そして弓のようなしなやかなつよさがほしい。

 と、ずっと思っています。

 馬装をするとき、鞍や鐙が重くて、背の高い馬に被せるのがとてもきついときがあります。

 干し草のロープが高くて、手を伸ばそうにも重くて、きつい時があります。

  

 そんなときに呪いのように、「逞しい自分、弓のようにしなかやかな自分」をイメージしています。

 そうしていると何度目かには出来てしまうから自己暗示とは侮れません。

 ただ単純に体力と筋肉がついたのかもしれません。

 

 これは何の話でしょうか。

 

 私は不安なのです。

 そしてその「不安」がふくらむ一方、ビフィズス菌のように「つよさ」が「不安」に迫る勢いで成長していることを実感しつつある今の生活がとても楽しいのです。

*

 富良野メロンは夕張にも負けないくらい美味しいです。

 

 親方の「一服するぞー」の一声で皆がテーブルに集まると、親方がメロンを半分に切って「ほい、食え」と言って渡してくれました。

 

 とても甘いのです。虫が好む甘さと青さ。私は幸せを噛み締めます。

「おかわりだぞ」とわんこそばのようにまた半分置いてくれました。

 結局メロンを一玉まるごとひとりで食べました。

 皆、かおがふにゃふにゃしてきます。甘くてみずみずしくておいしいものを食べた時のかおです。

 

 私はこの夏を忘れないんだと思いました。

雨天休日

 いつものように5時に起床し、夜のうちに解凍させておいた安売りのブラジル産若鶏もも肉をたっぷりの油で焼いた。焼く前に黒胡椒・塩・バジルで揉み込んだので、フライパンに落としてそのまま放置し、ある程度焦げ目がついたところでひっくり返した。

 台所に肉のいい匂いがただよう。しかし、油断していると煙が充満してすぐに火災報知機が鳴ってしまう。「火事です 火事です カンカンカンカン!」火事じゃありません 火事じゃありません 落ち着いて報知器を消さなくてならない。

 

 冷蔵庫のチルド室にはキャベツやピーマンや数々のキノコ類が常備されている。これらを適当に切って、炒める。だしの素と塩とお醤油たらり。そしてこの間79円の安売りでみつけた胡麻ラー油もちょりょり。この胡麻ラーさんがめちゃくちゃ美味しい。胡麻油のカドヤが出している商品。こいつをかけるとこいつに全部持って行かれるくらい、隠し味のくせにセンターをはる大物。

 

 炊飯器もレンジもないので、米はチルドのものを買っている。それを小鍋で湯煎して食べられるようにしている。小鍋に入り切らないので、数分おおきに交互に湯に浸かるようにひっくり返す。もう、慣れたもの。

 飯ができあがる。これは昼の弁当であり、朝食である。

 わたしは毎日この早朝の台所仕事と夕方の台所仕事のことばかり考えるようになっていた。冷蔵庫に今何があるのか、どいつが腐りかけているのかを見極めながら献立を考える。第一にお腹がいっぱいになること、そして身体が求めるものを作ることをモットーに考える。それがわたしの今の楽しみになっている。

 食事はお手製のダンボールテーブルで頂く。ムーミンの白い大きなハンカチをクロス代わりにかける。それだけで、わたしは、いい。

 冷蔵庫から水だしの麦茶を取り出そうとした時に、「こんな冷たいものを今日は腹に入れたはならない」という身体からの訴えをきいた。

 今日は肌寒い。長袖のパーカーを着ているくらいだ。熱い紅茶といれた。兄がインド出張のお土産に買ってくれたアッサムのグリグリとした茶葉のものをいれた。お湯を注ぐまえからいい香りがする。アッサムらしいコクのある甘い香り。

 日中はエネルギーがかなり消耗されるので、蜂蜜を入れる。

 サーモスの水筒に入れて、できあがり。

 テレビをつける。6時台は地方ニュース番組で7時台から全国放送のニュースへと番組が切り替わる。 

 こっちに来て気づいたのだけど、とにかくローカルニュース番組が多い。富良野高校野球部がもうすぐ北海道大会の決勝?に出場するのでその応援としてご当地グルメであるオムカレーを地元の洋食屋が振舞った。お腹をすかせた選手たちは勢い良くたいらげた。「オムカレーの力で甲子園に行くぞー!」のようなことを主将が叫ぶ。「がんばってほしいですね」のようなことをアナウンサーが微笑みながら言う。と、こんなような町のニュースが結構頻繁に流れる。

 わたしはこの富良野高校のわりと近所に住んでいて散歩の途中に練習している姿を見かけたことがあるので、もう既にジモティな気分で応援し始めているのに気づく。

 

 スポーツニュースも初っ端はなによりもまずファイターズの話題から。前日にサッカー代表戦があろうが、ファイターズから。

 どこの地方もこんな感じなのだろうか。地元の話題を出し惜しみせず伝えるテレビ局。関東在住のときにはなかったもっと強い、どこか魔術のような地元愛が芽生えそうである。

 朝ごはんは順調にすすむ。

 わたしは食いしん坊なうえに早食い。目の前にあるものは早く空にしなくては!いつ食えなくなるか、いつ敵がやってくるかわからない。と潜在的な動物の本能が未だに抜けていないんだと思う。

 ある程度食べ終えたところで、さて食後の甘いものは何にしようかと考えはじめる。

 朝は我慢をしない。とにかく食べたいと思ったものを食べる。朝は、許される。

 ココナッツサブレを二枚食べて、それから冷蔵庫の小枝をつまんで・・・

 そんなことをニュースを見ながら考えていると勤務先から電話が。 「今日は雨なのでお休みでお願いしまーす。リンちゃん(同居している台湾人)にも伝えてね」ときた。  雨だといつもお休みというわけではないらしいが、そうお客さんも来ないと見込んだらお休みになるらしい。    リンちゃんは眠そうな顔で起きてきた。「グッモーニン、きょうはお休みだよ」「お休み?オーウ」「まだ寝てられるよ」と言うと、リンちゃんは嬉しそうに部屋に戻っていった。  わたしはまさか休日になると思わなかったので、今、とてもうれしい気持ちでこの日記を書いている。    リンちゃんはまだ寝ている。  昨夜眠すぎて読めなかった二葉亭四迷の『浮雲』を辞書片手に丁寧に読み進めていく。  いつも20時台で寝落ちして返信出来なくなってしまう恋人とのメールを丁寧に打ち返す。どうやら今が頑張りどころらしい。  10時から近所の図書館が開く。  馬のことをもっと勉強しようと思う。馬のうんちくを覚えて、馬ともっと仲良くなりたい。お客さんに話したい。    こないだ恋人にメールで『ホームシックからかさみしくてチョコ狂になってしまった、どうしよう』と送ったら『馬も家族と引き離されて寂しくしていることでしょう。寂しい同士寄り添おう』と返ってきた。  寄り添うには、知ることから。  お勉強しましょう。  雨天休日、勉強日和。  

 富良野に来て9日が過ぎた。明日ははじめての休日。

 わたしの勤務先は少人数というのもあってかなりアバウト。「勤務先」と表記するのもなんだか違和感を感じる。「工房」とか相撲の「部屋」とかそんな感じで表すのがちょうどいい感じがする。

 「社長」のことも「親方」と呼ぶのがしっくりくる。

 私たちは、早朝から夕暮れまでほとんどの時間を外で過ごす。

 みんながテンガロンハットやら麦わら帽子を被って、汗をかきかき、馬を調教したり、ボロを掃除したり、餌の干し草を取り替えたりしている。

 そしてお客さんが来ると、全身に付着した干し草の屑や土をはらって、ジーンズから飛び出した汚れたシャツの裾をきれいにしまおうとする。

 笑顔で「こんにちは」とあいさつして、接客をする。お客さんが帰ったら、ふいーっと一息みんなで休憩する。

 「親方」が買ってきてくれるアイスをみんなで食べながら、あーだこーだと話をする。たいていは馬の話か食べ物の話。

 新しい干し草になってから、馬たちがよくクシャミをするようになった。取り替える作業時に私もクシャミを連発しまう。

 「馬も花粉症なんかねぇ」

 そんな話をして、ああ風がきもちいい、とみんなで風に頬をよせる。

 私と同日にここに来た男の子がいる。年齢はきいていないけど、たぶん同年代。

 私は昔から同年代の男子と交友するのがちょっと苦手である。先輩とか後輩とかの男子なら自分の立場がはっきりしているから、立ち位置に困らないし、そういう話し方をしていればなんとなくオッケーな感じがしてしまう。

 なので、初日に挨拶をしたときに同年代そうな彼が目に入った途端、「しまった」と思った。

 しかもちょっと前からいるならまだ先輩扱いもできるが、同日となるともう横の交友をしなければならない。

 

 うーむ。と悩む暇などなく私も彼もそれぞれ役職を与えられて仕事を覚えるのにてんやわんやしていた。

 そして、お互い同じようにボロをとったり、干し草まみれになっているうちに自然と話せるようになっていた。

 こう言っては語弊かもしれないけれど、一緒にヨゴレ仕事をした仲ほど爽やかな交友はないかもしれない。

 汗も埃も日焼けも隠さない、小さなことなど気にしない仲になっていた。だからこそ、年齢を知らないのかもしれない。

 だけど、その子が高校時代にバイトしていたユリ畑やスイカ畑の話は知っている。朝、トラックの荷台に乗せられて、一日監視もつかない畑に放られ、適当に抜け出して友達と川で遊んだ話も知っている。

 

 とても不思議な、爽やかな交友だと思う。

 わたしたちはひと夏の家族なのだ。

 季節が過ぎれば、それぞれまた違う方へ旅立っていくのである。

 

 あすの夜、わたしが住むこのアパートに新しい仲間が増える。台湾人の女の女の子だ。この子も同じバイトをする。

 わたしは一人暮らしも初めてだったし、あすから始まる同居も初めて。そして外国人と同居も初めてである。

 いろいろ、いろいろ気になる点はあるが始まってもいないことを悩んでいても仕方がないので悩まない方向で自分を整理している。

 ただ、できるだけ気持ちよくむかえてあげたいので、明日はアパートの掃除をしようとおもう。

 そして、一緒に実家から持ってきた台湾茶を飲もうと思う。それから、わたしの好きな台湾のシンガーソングライターの盧廣仲の音楽についても話そうと思う。知っていたらいいけど。

 

 明日は休日。

 贅沢をしよう。

 歩いて数分のお寿司屋さんで海鮮丼を食べたり、富良野のソフトクリームを食べたりしよう。

 本も読もう。

 すこし昼寝もしよう。

 

 たのしい休日にしよう。

  

心地好いつかれ

 朝5時に起床。今朝はつかれがとれていなくて30分多く寝てしまった。

 昨日フライパンや最低限の食器を買ったので、野菜を炒めて、ライ麦パンにはさむ。レンジも炊飯器もないのでご飯が食べられない。そうすると小麦粉を使用した食べ物が増える。そうすると私の体はあんまり調子がよくなくなる。気がする。だから気休めのライ麦パン。蕎麦とか豆腐を主食としようか。

 腕の筋肉痛が和らいできた。作業は腕をよく使う。

 ボロを大きなスコップで取る。お馬は一度のトイレで2、3㎏は出してると思う。あっちのお馬がボロだした。そっちのお馬がボロだした。ひっきりなしにボロ取りは続く。それもそのはず、お馬たちはほぼ一日中ずーっとずーっと、休めることなく干し草を食べているのだ。

 ここの牧場では発酵させた栄養満点の干し草をあげている。この干し草も自分たちで栽培し、乾燥させているらしい。巨大な干し草ロールが広大な畑に転がっている。

 お馬たちはこの干し草を飽きることなく、むしろ大いに好んで食べている。

 一頭ずつお部屋に米俵くらいの大きさの干し草網をかけている。網の中の干し草が少なくなってくると補充してやる。補充のために一度部屋から出さないといけない。そうすると、お馬は前足をガツンガツンと鳴らして怒りを訴えてくる。「ちょっと何すんのさ!干し草返せ!はやく持ってこい!」と、気性の荒いお馬だと歯を剥き出したりして、結構こわい。

 袋から取り出したばかりの新鮮な干し草だと、「やたー!!これ好き大好き!」といつもの干し草よりもテンションが上がる。

 その様子を見た他のお馬は「おい、こっちもあの新しいのよこせえ!あれがいい!あれ食べたいー!!」と訴えてくる。調子のいいお馬だと勝手に隣のお部屋の新しい干し草をムッシャムッシャと食ったりする。目は本気。

 

 水は二時間おきにあげる。だいたいのお馬は大きめのバケツ(6リットルくらい)一杯。お水が好きなお馬は2杯くらいゴブゴブ飲む。

 干し草の補充、お水やり、散らかした干し草の掃除、ボロ取り、鞍乗せ(この鞍というのが丈夫な革製で重い)。。。と、どの作業も重量感がある。初日の勤務が終わると、私の使ったことのない腕の筋肉が悲鳴というか絶叫に近い叫び声をあげた。

 3日目となると、そう辛くなくなってくるから人体はフシギ。

 馬の背中で眠ったことはありますか。私はあります。

 今日、お昼ごはんを食べたあと午後のお客がいなかったので乗馬レッスンを受けていました。乗馬といってもトレッキングなので走らせたり跳ばせたりはさせない。砂利道や林道を気持ちよく歩く、ゆったりとした乗馬です。

 私を乗せてくれたピース5歳はとてもゆっくり歩くお利口さん。それが故、その背中のゆるやかな揺れが心地よくて、ふわっと夢の中に入り込む瞬間が何度もあった。

 馬というのはとても過敏な生き物です。馬に乗る者もデリケートでなければなりません。それでも、それでも、睡魔はやってくる。

 なんとか落馬せずレッスンはおわった。「ピースありがとう」と首元を撫でると「フフフン」とそっぽを向かれてしまった。彼はわかっていたんだろうか。

 牧場の一角に苺がなっている。無農薬の堆肥だけでなっている苺。私はお昼ごはんのデザートにいつも摘んで食べている。水道で洗おうとしたら「洗っちゃあおいしくないよ、水っぽくなる。そのまんま食べるのがおいしいんだよ」と教えてくれた。

 だから私は摘んで、そのまま食べている。苺は実まで鮮やかな赤。果汁も血のように鮮やか。こんなに美味しい苺は食べたことがない。そして、苺がなる姿もなんて可憐なんだろう。

札幌 なぐりがき2

 おととい、円山公園内にある北海道神宮にお参りに行きました。

 この神社は北海道開拓に尽力した人々を祀っています。彼らが居なければ私は今、この地に足を踏み入れることも出来なかったわけです。感謝とこの土地での無事をお祈りしました。

 おみくじも引いてみました。大吉でした。「小さな善行を積みなさい」と書かれていました。私は守ろうと思います。大きな善行は、しにくいです。小さな善行なら、どんどんできる気がします。

 神社で結婚式をしていた。

 西洋風のチャペルで行うような結婚式は「夫婦と主との誓い」というようなイメージがあります。私はこのとき、初めて日本風の結婚式を見ました。雅楽と巫女さんの舞のなか、夫婦は頭を下げて向かい合います。参列する人も頭を下げます。

 その様子を見ていると、夫婦が神様だけでなく、この土地の土や風やご先祖たちと契りを交わしているような、そんなふうに見えました。天空の主だけではなく、もっと広大な世界にまで誓いをたてるようなかんじです。

 大袈裟です。でも、その場に居合わせると、そう思えてくるのです。本人たちは意外と、、着物がきつい、とか二次会の景品足りるかな、とかそんな心配事をしているのかもしれませんが。

 旅する人を信じる。

 富良野に向かうバスの中で小沢健二の『我ら、時』をずっと聴いていました。

 このアルバムは小沢健二が世界中を旅して、13年ぶりに行ったライブの音源です。

 世界でいろんなものを見てきた彼が、それでも変わらなかった詩を信じて。

 旅する人を信じる。

 馬の毛色をおぼえましょう。

 栗毛、鹿毛、葦毛・・・。

 フフフフーン!

 あの子はお水を欲しがっています。今日はとても暑いからお馬も水が欲しいです。

 前足を床に激しく叩きつけています。

 これはいけません。美しくありません注意しなければ。この子は干し草を取ると、いつもこうして怒るのです。

 馬の糞のことえお「ボロ」といいます。おぼえましょう。

札幌 なぐりがき1

6月29日

 6時に札幌に到着しました。8時にならないと今日の宿にチェックインできないので、とりあえず駅の外に出ました。

 駅前とは思えないほど風や空気が気持ちよかった。早朝の街といえばオール明けの新宿を知っていますが、全然違う。澱みがありません。街が広く感じます。とてもすっきりとしています。人が少ないというのもありますが、街にストレスが少ないという第一印象です。

 新宿や渋谷が異常なのですね。

 私のトランクは馬鹿がつくほど大きい。私を詰め込もうとすれば詰め込めるほど大きい。そんなバカデカトランクを引きずりながら駅周辺を彷徨うのは結構疲れます。この時間ではコンビニくらいしか開いていませんでした。

 しばらくうろうろしていると7時を超えたので駅の地下街を彷徨うことにしました。こういう所では珈琲屋なんかがモーニングをやっていたりします。案の定ド○ールと立ち食い蕎麦屋が開店していました。

 蕎麦屋からいい匂いが立ち込めていましたが、バカデカトランクが一緒だともう空いてるスペースがないほど狭小店だったので、ド○ールに入りました。

 こんな早い時間でも店を開ける。おそるべしチェーン店。

 ド○ールの朝は混む。私はたまたままあだ空いている時間に入れましたが、私のあとから続々とサラリーマンやOLがやってきます。

 レジ打ちの女子はおそらく新人さんなのでしょう。何度もカードやらコーヒーチケットやらを返し忘れてしまいます。ド○ールというとたいてい一人くらいは爽やかな男子が常駐している気がしていたのですが、本日の朝のシフトは女性が三名。

 私はちょうどレジと対面するように座っていたのでその内部事情がよく見えました。  あの新人の彼女を見ていると、先日退職したお茶屋での新人時代の自分を思い出しました。私も「し忘れ」が多く、店長には「気をつけてとしか言いようがないからさ」と呆れられながら注意を受けた苦い思い出があります。  彼女は何度ミスをしても、入ってくるお客ひとりひとりに元気よく「いらっしゃいませ!」とさけびます。  私は彼女に無言のエールをおくりました。というか見つめてすみませんでした。 *  今日泊まるゲストハウスで自転車を借りて円山公園に行きました。その道すがら、ジャージ姿の中学生二人組に円山競技場はどこかと尋ねられました。ごめんなさい、実はわたし観光客でわたしも迷っています。と返すと、すみませんでしたー!と慌てて通り過ぎてゆきました。  もう一度地図を見直し、彼女たちより先回りして公園を見つけました。(競技場は公園内にある)これは早く彼女たちにお伝えしなくては!と、いそいそと自転車をUターンさせて彼女たちの元へ向かいました。彼女たちのまわりには同じジャージを着た生徒たちが公園の方を目指して歩いています。彼女たちも彼らと同じ方向をゆけば辿り着くことはわかっていたでしょう。ですが、わたしは「わかりました?あっちみたいですよ」と声をかけました。やさしいお姉さん風に。すると彼女たちは「どうもすみませんっ、ありがとうございます!」と気持ちの良いソプラノで返してくれました。    今日はいろいろな所をめぐりましたが、つづきはまた今度書きます。  スマホで書いているので思うように編集ができなくていやんなっちゃいます。誤タッチが多くて余計な記事がアップされてしまいました。チッ。はずかしいです。

旅列車

 きのう、新幹線で新青森まで向かう途中、新幹線は仙台や盛岡に停車しました。

 「仙台」

 ときいて、私はハッとして車窓から街並みを眺めました。日が落ちて、群青色に染まった街に他の街と同じように灯りが幾つも灯っています。とてもここや、この先であんな大きな震災が起こっただなんて想像ができないくらい普通の、日常の景色でした。

 暗闇の分、あまりよく見えていなかったのかもしれないけれど。私はまだ震災がよくわかっていないし、見たくないんだと思いました。こんなに近くに来たのに、絶対的な哀しみや苦しみに目をそらしてしまうのです。

 

 

 青森で寝台列車に乗り継ぐまで少し時間があったので、地元のものでも食べようと駅前を歩きました。まぶしく灯りがともっているのは東京でも見かけるチェーン店ばかり。私は旅行に行ったときは個人経営のお店になるべく行くようにしているのだけど、そういうお店は閉まっていました。

 街はどこか寂しく、閑散としています。一際まぶしい吉野家に入りました。豚丼が甘くなっていました。いつからですか?

 なにか一つくらいその土地のものを手に入れようと、コンビニに向かいました。ありました。林檎の土産物。林檎パイ、林檎をフリーズドライしたやつ、林檎ジュース。。しかし、これらはついこないだニューデイズの物産コーナーで見たし、買ったことのあるもの。他に何かないかと見渡すとどうやら青森はカシスも特産品みたいです。私はカシスのゼリーを買うことにしました。

 寝台急行はまなすに乗り、備え付けの浴衣を着、整ったところでカシスゼリーを食べ始めました。アルコールは入っていないけどなんだかお酒っぽい風味。カシスの果実がほんのり薬っぽくて、独り旅の感傷に浸るにはもってこいの味でした。すごく東北っぽいひとときだと思いました。

 

 寝台列車で読書しつつ寝落ちする。というのが憧れだったので、しました。

 リュックサックには2冊本を用意していました。(トランクにはあと5冊あります)一つはトーベ・ヤンソン短篇集。もう一つは澁澤龍彦の『妖人奇人館』。新幹線でトーベ・ヤンソンは読んだので、澁澤龍彦を読みました。

 18世紀の放蕩貴族が主宰した秘密クラブや大革命前のパリに実在した女装した外交官について知ることができました。私はこういう歴史ゴシップみたいなものが大好物です。高貴な地位の人たちが下衆なほどいいです。

 4時頃、ようやく青函トンネルを抜けていることがなんとなく判り、カーテンをちらりと開けると青白い世界が広がっていました。靄がかった港。あれは港だったのか、工場地帯だったのか定かではありませんが、さみしい、と思いました。

 いつさみしい景色が途切れるか見続けようと思いました。なかなか途切れません。さみしい景色の次はまたさみしい景色。

 私はまたうとうとして、眠りに落ちました。