蔓草雑話

あの話、その話、話題は蔓草のようにのびて。

二〇一二年 一月のこと

 

 二〇一二年も残り僅かとなりました。

 今年を総括してみましょう。

 

 

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                 一月  

 

 ひとりで京都へ行った。初めてのひとり旅だった。まだ家を出られる程自立していないけれど、とにかく何処かへ、ひとりで行って、数日を過ごしてみたかった。

 築百年以上の古民家を改装したゲストハウスで見知らぬ女性と一晩同じ部屋で過ごして、古めかしい台所でお茶を飲んで、それぞれの話をぽつぽつした。

 翌日はお寺で写経を体験した。塗香(ずこう)という身を清める香りの粉に感動した。和尚さんに「一字一字ただ丁寧に書けばいいんですよ」とたおやかに声をかけられるも、それができなかった。

 京都御所を見学した。ここは予約をしないと入れない。約十五名の見学者に宮内庁の方が三名ほどついて解説をしてくださる。宮内庁職員という職業は日本の職業の中でも特殊な世界だと思う。話し方、歩き方、着ているもの、まなざし、どこか雅な雰囲気があった。花も葉もない庭園は、庭そのものの造りを見せてくれた。飾りを剥ぎ取られたにも関わらず、うっとりしてしまう庭だった。

 翌日はお寺に泊まった。宿坊。旅の最大の目的。とてもとても静かな寺の中は一つの小宇宙。世界に私だけしかいないような気さえした。トランクに入れておいたターシャ・テューダーのインタビュー本を読んだ。「世界にはターシャさんのような生活に憧れる女性が沢山います。なにかメッセージをください」というような質問に「憧れているのなら、なぜそうしないのですか?」というように応えていたのが印象的だった。胸の辺りを風が勢い良く通り抜けるような、わたしにとって革命的な言葉だった。ふすま一枚先に枯山水の庭があった。本を閉じて、縁側にただ座った。音も無く、電灯もない庭を月明かりだけが照らしていて、ひとつひとつの石が堂々とただ在った。わたしに見られる前からずっと堂々とここに在ったんだろうな、誰に見られてない時も堂々としているんだろうな、と思った。しばらく何にも考えていない時間が経っていた気がする。言語化できない心の変化、自分の中の波のかたちが少し変わっていく感じがわかった。

 

 


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            帰りがけの京都タワー

 

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             上賀茂神社の武射神事

 

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                祇園

 

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              明け方の京都駅