わんこメロン
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他人と一緒に住むということ。同居。わたしは結構気にいりました。
同居している台湾人のリンちゃんはワーキングホリデーで一年間日本に来ています。北海道の前は京都で働いていたそうです。一年の間に日本各地で働いて、というよりも「経験」していくそうです。
一ヶ月後には、もう、お別れです。リンちゃんは別の酪農のお仕事をするそうです。そして、来年はオーストラリアにワーキングホリデーで行く予定なんだそうです。
リンちゃんとはいつも一緒に夜ごはんを食べます。その時に、以前働いていたゲストハウスでの話やワーキングホリデーの話、台湾と日本の生活の違いなどの話、そして自分たちの将来の夢の話をします。
リンちゃんはマレーシアやフィリピンにも滞在していたことがあるそうです。リンちゃんが見てきた世界の人々の話をまるでお母さんに絵本を読み聞かせしてもらう子どものように、私は聞いています。
リンちゃんと過ごすようになってから、自分の未来について以前よりも色濃く思い描くようになりました。
自分が望む未来は何なのか。
そのために、何をしようか。
ぐるぐると渦を巻くような未来予想ではなくて、なんだか辺りがすっきりぽっかりしています。
昨日図書館で読んだ『百年の家』という絵本の影響があるのかもしれません。
私が居て、私という土壌にあった植物の種を植えて、根気よく耕し育て、実りのときは皆で味わって。何年も何年もそうして続けていく。
私は逞しく、そして弓のようなしなやかなつよさがほしい。
と、ずっと思っています。
馬装をするとき、鞍や鐙が重くて、背の高い馬に被せるのがとてもきついときがあります。
干し草のロープが高くて、手を伸ばそうにも重くて、きつい時があります。
そんなときに呪いのように、「逞しい自分、弓のようにしなかやかな自分」をイメージしています。
そうしていると何度目かには出来てしまうから自己暗示とは侮れません。
ただ単純に体力と筋肉がついたのかもしれません。
これは何の話でしょうか。
私は不安なのです。
そしてその「不安」がふくらむ一方、ビフィズス菌のように「つよさ」が「不安」に迫る勢いで成長していることを実感しつつある今の生活がとても楽しいのです。
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富良野メロンは夕張にも負けないくらい美味しいです。
親方の「一服するぞー」の一声で皆がテーブルに集まると、親方がメロンを半分に切って「ほい、食え」と言って渡してくれました。
とても甘いのです。虫が好む甘さと青さ。私は幸せを噛み締めます。
「おかわりだぞ」とわんこそばのようにまた半分置いてくれました。
結局メロンを一玉まるごとひとりで食べました。
皆、かおがふにゃふにゃしてきます。甘くてみずみずしくておいしいものを食べた時のかおです。
私はこの夏を忘れないんだと思いました。