蔓草雑話

あの話、その話、話題は蔓草のようにのびて。

押し入れから救出されたもの

 

 高校時代、二年生に上がる前に吹奏楽部を退部したあと、次は写真部に入りたいと思った。一人で何度か部室というか暗室前まで行ったのだけど、知り合いが誰もいない写真部の扉をたたく勇気がなくて結局入部しなかった。今思えば先生に相談するなり、手だてはあったはずなのだけど、それすらできない小心者だった。

 

 母はうちにカメラがないから入部しないのだと思っていたらしく、「カメラって今いくらなの?」と聞いてくれた。私はただ「いいのいいの」と答えるだけだった。

 

 何日か過ぎて、私は一台のカメラを手に入れることが出来た。母から私の話をきいた叔父が昔使っていたフィルムカメラを譲ってくれたのだ。

 1966年発売のオリンパスペンFT。露出計が内蔵されたハーフサイズの一眼レフカメラだ。叔父が十代の頃に祖父に買ってもらったものらしい。私に譲ろうと久しぶりに物置から取り出したらしく、カメラには古い埃がいっぱいこびりついていた。「こんなんまだ使えんのかしらね〜ホッホ」と笑っていた。

 カメラをきれいにし、電気屋さんでフィルムを買い、早速フィルムをカメラにセットしようとするも、超絶不器用な私はそれだけで一苦労。あまりにフィルムをくしゃくしゃにしてしまって一つ無駄にしてしまった。フィルムを入れるだけのために叔父を訪ねると「なんでこんなこともできないの?信じらんな〜い」と笑われてしまった。

 

 フィルムさえ入ればこっちのもの。

 早速学校へ持っていってみた。しかし、鞄から取り出せない。カメラを持ってくるということがなんだか恥ずかしい。カメラ女子とかそういうのが取り上げられるちょっと前で、カメラに対してのオシャレ感ファッション感が今程なかった気がする。しかしHIROMIXさんの写真集に影響を受けた私としては、若者を被写体としたスナップに憧れを持っていたのでどうしても学校を撮りたかった。

 なかなか殻を破れない私だったが、文化祭を期にここぞとばかりにカメラを首にぶら下げた。「私は放送委員、私は記録係、これは任務」と思えば恥ずかしさも消えていった。今思えば、芸術クラスでみんな理解のある子たちばかりなんだからそんなに気にすること無かったのに。。アホだ

 

 文化祭準備から当日までの学校を撮った。すごくゾクゾクしたのを覚えている。レンズを覗く自分がいつもよりすこし勇気のある人間に変わっていることにも気付いた。

 

 わくわくしながら現像にだす。現像代プリント代が思いのほかかかる。取りに行く。見てみる。ピンボケや真っ暗な写真ばかり。がっかりする。

 ここで「次こそは!」と向上心のある人間ならいいのだけど、一気に熱が冷めてしまうのが愚図人間の私。

 その後、叔父からデジタル一眼を譲ってもらい、「お金がかからない」という点と「めんどくさくない」という点で私をときめかせ、以後そのカメラが私のカメラ正妻として使われている。ペンFTは「初恋って実らないもんだよね」の扱いで、そっと押し入れに葬られることとなった。

 

 

 しかし!

 

 

 約六年ぶり?に押し入れから救出されペンFTが私の首にぶら下げられることに!

 友人がフィルム写真にハマっていて、それ見て「いいな〜」と思っただけのこれまたミーハーな理由で。

 その友人と新宿御苑に写真散策に行ってきた。

 今日はその日のことを書きたかったのだけど、前置きが長くなってしまった。