【金沢旅帖6】犀川
新学期が始まったばかりで授業が早く終わったのか、中学生くらいの男の子女の子が川沿いで遊んでいた。
駆けたり、集ったり、だれか転んでたり。
対岸の声こそ届かなかったけど、楽しげな空気は伝わってきた。
来年はもうあそばないかもしれない。
こういう瞬間はたのしいとわかっていても、意外とその春だけの出来事だったりする。
おじいちゃんが三歳くらいのお孫さん(坊や)を抱いて、川沿いをゆっくりゆっくり歩いていた。
真上のサクラを見上げたり、川の流れを眺めたり。
ここのサクラは幾世代の祖父と孫を見守ってきたんだろう。
私たちが毎年サクラの開花を待ちわびるように、
サクラも「おうおう、こいつも孫を持つようになったか」なんて人間たちの成長と世代の移り変わりを楽しんできたんじゃないか。
サクラに限らず、植物は私たちを見つめているような気が、私はすごくする。
段差が一つそこにあるだけで、こんなに川の表情が変わる。
同じ水なのに、質感さえも違うみたい。