【金沢旅帖1】海沿いの宿に泊まった朝の風景
石川県七尾市の百海(どうみ)という所の民宿に泊まった。
障子を挟んだ窓には光の強い朝日が射し込んでいた。
あまりにも明るいので「あー、朝焼けを撮影しようとしていたのに寝坊してしまった。もう9時かな」とがっかりしていたら、まだ6時半だった。
よし、すぐ外に出よう。
カメラを首に下げて、顔も洗わずに部屋を飛び出した。
閉め切られた扉の向こう、お台所で女将さんとご主人が朝食をとっている音が聞こえた。
なにかお話ししていた。
私はそっと靴を履いて、静かに外へ出た。
玄関開ければ、目の前は海である。きらきらと輝く水面。もう海ができあがってる。
昨夜、真っ暗闇の海辺を散歩していたときの妖気漂う水面の表情とは真逆だった。
夜は、私を海底に引きずり込もうとたくらむ妖魔がしずかに迫ってくるような、そういう「こわいうみ」だった。
海岸近くではもうこの時間は朝ではないのかもしれない。すっかりお昼のような明るさと暖かさ。
きびしさはなりを潜め、海はただあたたかく、たおやかに私を迎え入れてくれた。
ここは漁村なので漁師さんたちがわらわらといて、漁で賑わう風景を想い描いていた。
しかし、目の前の海には舟が一隻出ているだけだった。
夜明けの漁が終わり、定置網を仕掛けているのだろうか。
この広い海に、たったひとり。
その舟は音もたてず、移動もせず、その大きな懐に抱かれるように、ただそこに浮かんでいた。
私はあたたかい波音とカモメの鳴く声に耳をすませながら、ぼんやりと舟を眺めていた。
朝日を浴びて、光にとけ込むように仕事ができる幸福。
海と人間、ひとつとひとつで向かい合える幸福。
その日、その一瞬だけの風景かもしれない。辛い事も多くあるかもしれない。
だけど、私はただこの二つの幸福が何よりも羨ましく思えた。
海は美しいだけではない。人間の不純、愚かさまでも映すよう。