蔓草雑話

あの話、その話、話題は蔓草のようにのびて。

二〇一二年 一月のこと

 

 二〇一二年も残り僅かとなりました。

 今年を総括してみましょう。

 

 

               ■□■□■□■□■□

 

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                 一月  

 

 ひとりで京都へ行った。初めてのひとり旅だった。まだ家を出られる程自立していないけれど、とにかく何処かへ、ひとりで行って、数日を過ごしてみたかった。

 築百年以上の古民家を改装したゲストハウスで見知らぬ女性と一晩同じ部屋で過ごして、古めかしい台所でお茶を飲んで、それぞれの話をぽつぽつした。

 翌日はお寺で写経を体験した。塗香(ずこう)という身を清める香りの粉に感動した。和尚さんに「一字一字ただ丁寧に書けばいいんですよ」とたおやかに声をかけられるも、それができなかった。

 京都御所を見学した。ここは予約をしないと入れない。約十五名の見学者に宮内庁の方が三名ほどついて解説をしてくださる。宮内庁職員という職業は日本の職業の中でも特殊な世界だと思う。話し方、歩き方、着ているもの、まなざし、どこか雅な雰囲気があった。花も葉もない庭園は、庭そのものの造りを見せてくれた。飾りを剥ぎ取られたにも関わらず、うっとりしてしまう庭だった。

 翌日はお寺に泊まった。宿坊。旅の最大の目的。とてもとても静かな寺の中は一つの小宇宙。世界に私だけしかいないような気さえした。トランクに入れておいたターシャ・テューダーのインタビュー本を読んだ。「世界にはターシャさんのような生活に憧れる女性が沢山います。なにかメッセージをください」というような質問に「憧れているのなら、なぜそうしないのですか?」というように応えていたのが印象的だった。胸の辺りを風が勢い良く通り抜けるような、わたしにとって革命的な言葉だった。ふすま一枚先に枯山水の庭があった。本を閉じて、縁側にただ座った。音も無く、電灯もない庭を月明かりだけが照らしていて、ひとつひとつの石が堂々とただ在った。わたしに見られる前からずっと堂々とここに在ったんだろうな、誰に見られてない時も堂々としているんだろうな、と思った。しばらく何にも考えていない時間が経っていた気がする。言語化できない心の変化、自分の中の波のかたちが少し変わっていく感じがわかった。

 

 


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            帰りがけの京都タワー

 

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             上賀茂神社の武射神事

 

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                祇園

 

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              明け方の京都駅

 

 

権太の生きかた

 

 

「ロココという言葉を、こないだ辞典でしらべてみたら、

華麗のみにて内容空疎の装飾様式、と定義されていたので、笑っちゃった。

名答である。

美しさに、内容なんてあってたまるものか。

純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ。

きまっている。だから、私は、ロココが好きだ。」

太宰治『女生徒』より)

 

 

 

「この三つのもの(小菅刑務所とドライアイスの工場と軍艦と)が、なぜ、かくも美しいのか。

ここには、美しくするための加工した美しさが、一切ない。

美というものの立場から付け加えた一本の柱も鋼鉄もなく、美しくないという理由によって取り去った一本の柱も鋼鉄もない。

ただ必要なもののみが、必要な場所に置かれた。

そうして、不要なる物はすべて除かれ、必要のみが要求する独自の形が出来上がっているのである。

それは、それ自身に似る他には、他の何物にも似ていない形である。

(中略)

 見たところのスマートだけでは、真に美なる物とはなり得ない。

すべては、実質の問題だ。

美しさのための美しさは素直でなく、結局、本当の物ではないのである。

要するに、空虚なのだ。

そうして、空虚なものは、その真実の物によって人を打つことは決してなく、詮ずるところ、有っても無くても構わない代物である。

法隆寺平等院も焼けてしまって一向に構わぬ。

(中略)

 必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ。

それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生まれる。

そこに真実の生活があるからだ。

そうして、真に生活する限り、猿真似を恥じることはないのである。

それが真実の生活である限り、猿真似にも、独走と同一の優越が有るのである。」

坂口安吾『美について』より)

 

 

「あれは確か、高等一年の時だった。

権太は母親が病気で、よく学校に遅れた。宿題もしていけなかった。

母親に代わって、飯の仕度から、赤ん坊のおしめの仕度までしたのだ。

そんな権太を、益垣先生は、理由も聞かずに叱りつけた。

しかも、宿題をして来なかった罰として、権太一人に掃除当番をさせたことがあった。

耕作はその権太の当番を手伝った。

級長の若浜が、受持の益垣先生に言いつけると言った。

「叱られてもいい」

 耕作はそのとき、若浜にそう言ったが、当番を手伝ったあと、益垣先生に見つかるのがいやで、校庭を逃げるように走った、と、権太が聞いた。

「耕ちゃん、なんで走る」

「先生に見つかって、叱られるのがいやだからだ」

その時、確か権太はこう言った。

「耕ちゃん、そんなに叱られるのがいやなのか」

 耕作はいやだと答えた。耕作はいつも人にほめられることに馴れていた。

だから人に叱責されることは、ひどく恥ずかしいことに思っていた。

だがその時権太は言った。

「耕ちゃん。うちの父ちゃんがなぁ、叱られても叱られなくても、やらなきゃならんことはやるもんだって、いつも言ってるよ」

 あの言葉を、高等一年の耕作は、頭を殴られる思いで聞いたものだ。

権太は、たとい先生に叱られても、母の手伝いをおろそかにしてまで、学校に行くことはしないと言った。

権太は、産後の肥立ちの悪い母親に手伝うほうが、より大事だと心得ていたのだ」

三浦綾子『続 泥流地帯』より)

 

 

 「美しさ」とはなんぞや。

 それが私の十代後半から抱き続けていたテーマの一つであります。

 美人、美少女、美少年、そして美術。

 そんな言葉から醸し出される甘美な印象に心吸い寄せられた私はその実質を注視することもおろそかにして、ただぼんやりと愛していました。

 一番始めに載せた太宰治の『女生徒』はある女生徒の日常を一人称で描いた短編小説です。一年半くらい前に読んで、「まさに私の気持ちを代弁しているわ!」と感激した記憶が有ります。

 そして一年半が経ち、今この文を読むと、共感度数がかなり下がっていてむしろ反対な気持ちが芽吹いていることに気付きます。タイトル通りまさに労苦を知らない女生徒・少女らしい感覚な気がしてきます。

そして、こういった空虚な美的感覚を持った人が少女のみならず立派そうに見える大人にも「流行」という言葉とペアになって広がっているような気がします。

「ロココがわるい。流行がわるい。」という考えではないです。

どこか、実質の詰まっていない空虚な、体系だけの美に人は飛びつき翻弄されてない?という実感が私にはあるのです。私のなかにもあるのです。

 

「純粋な美しさはほんとうに無意味で、無道徳だろうか」

 

 二番目に載せた坂口安吾の『美について』は、彼の実体験に基づく美の探求から辿り着いた坂口安吾流美の定義です。

 私はこの文を読んだ時に、恋人と行った表参道ヒルズでのウィンドウショッピングを思い出しました。

その日、一通り表参道ヒルズを見て回って恋人が一番美しいと思ったのは「鉄ばさみ」だと言いました。何の装飾も施されていない鉄のはさみです。

「ねえ、そう思わない?」と聞かれ、その時の私は完璧に理解できないままあやふやに「え(なんでハサミ??)・・・うん」と頼りなく返事をしました。

 そして、坂口安吾の『美について』を読んで、やっと彼の言わんとしていることが判った気がしました。彼はものを創るのが仕事です。だから日々道具と二人三脚でいるわけです。そうなると、「どこからどう眺めても無駄が無く必要な部分」で造られた鉄ばさみが「美しい!」と想うのも納得であります。

 たしかに、この坂口安吾流美の定義は説得力があります。乙な感じもあります。しかし、ちょっと男性的すぎる感もあります。

私のなかの「女生徒的美意識」が未だに根強く残っているからそう思うのかもしれません。

 

 

 三番目に載せた三浦綾子の『泥流地帯』は、大正時代の北海道で災害と差別と労苦に石に齧りついてでも立ち向かう兄弟を描いた感動巨編です。私はこの小説から大事なことの多くを学びました。

 抜粋したのは貧しい農民の子ども二人のシーンです。

 権太は遅刻もするし、宿題もやってこない、身なりも祖末です。

一見すると「美しさ」からかけ離れた存在に映るかもしれません。もしクラスに権太のような子が居たら幼心に「きたない奴だ。できない奴だ。」と思うかもしれません。先生がそう思っているくらいですから。

 しかし、権太の行動には迷いがありません。やらなければならないと思ったことを、必要だと思ったことを恐れずやっています。

 権太の行動こそに真実の生活があるように私は思いました。けがれない道徳心が詰まっているような気がします。

 私は権太の生き方に純粋な美しさを見出しました。耕作同様、頭を殴られるような思いでした。

 

「一生を終えてのちに残るのは 我々が集めたものではなくて 我々が与えたものである」というジェラール・シャンドリさんの言葉が有ります。

 私は最近、この言葉を座右の銘としています。権太はきっと与えた側の人間だなあと思います。

 

 「美しさ」とはなんぞや。

 それは、権太の生き方だ。と、いまのところ結論がでたところです。

 「美しさ」はきっとひとつではないので、これからも別の「美しさ」が私のなかであらわれると思います。私の実体験からもあらわれるでしょう、が、根底に有るのはきっと真実の生活なんだろうなと思います。

 

あなたにとっての「美しさ」とはなんぞや?と聞いてまわりたい。

 

http://www.youtube.com/watch?v=efYOuzy5uH

↑私が思う、音楽作品の「美しさ」No.1

グレン・グールドによるベートーベンピアノソナタ32番2楽章。

余談ですが、私を葬るときはこれと、小沢健二の『天使たちのシーン』、オスカーピーターソンの『Hymn To Freedom』を流してほしい。

 

 

 

おかえりただいま

 

 四ヶ月の北海道生活を終え、先月29日に実家へ帰ってきた。

 なぜ、途中で日記を書かなくなったのか。

 きっと、記しておかなくてもいいくらい日々が充実していて、心身がここちよく充たされていたからだと思う。

 朝はやく目覚め、毎日同じような作業をする。同じようであっても自然相手であるからどこか昨日と違う作業となる。デジタル機器などほとんどなくて、仕事はアナログ。

 身体をつかって、心をつかって、労働する。

 

 労働を終えて、ここちよい疲労にそのまま早寝する日もあれば、すこし神経を起こして本を読んだり映画を観たりフランス語の勉強をした。

 ひとりの時間は想像以上に贅沢で幸福だった。

 

 仕事場である牧場で毎日同僚と話をした。夏はスイカやアイスを、秋は珈琲を、いっしょに飲んだ。牧場で飲むその珈琲が異様に美味しく感じられて、わたしは珈琲にすこし目覚めた。

 

 こうして書き綴っていて想うのは、こんなこと書かなくてもやっぱり良かった。良いことは良かったんだ。という想い。

 

 北海道生活は終わったけれど、あたりまえに日々はながれてゆく。

 北海道にいたときから次はどこへ向かおうかと考えていたので、後ろ髪を引かれる想いはそんなにない。とても自然な流れで次の生活へ向かえそう。

 この四ヶ月の北海道生活で、もっと自由になれそうな予感とか心があたたかくなれそうな予感が育っていったからだと思う。

 

 明日から新しいことがまた始まる。

 いまは肩の力が抜けていて、脱力ができてる。すごく、いい予感がする。

 

 

生活

 

 我がアパートの近所にCGCグループのスーパーがあります。

 突然ですが、みなさんご存知?CGCグループの歌を。

 

知ってる人はご一緒に!

 

「♪あなたもわたしも C G C!」

 

「♪たーすけーらーれーたーり たっすっけたり!」

 

 

 私は北海道に来て初めてCGCグループのスーパーに行くようになったのですが、一ヶ月も経たないうちにすっかりこの歌に洗脳されてます。

 

 今日も帰りにこのスーパーで買い物をして、帰宅して、冷蔵庫にキャベツやら水菜やらをしまっていると、ふと、無意識にこの歌を鼻歌で歌っていいることに気づきました。

 そしてつられるように御夕飯の支度をしていた同居人のリンちゃんも歌っていました。

 

 フンフンフンフ 

 フフフンフンフン 

 フ フ フ

 

 たはははは わらっちゃうね

 おもしろい夕暮れ時でした

 

 

 

 先日、仕事終わりに同僚二人と一緒に地元の花火大会に行きました。

 私は祭りが好きです。どんなにしょぼくても、好きです。

 自分が住んでいるその土地の祭りに参加するということで自分がその土地により深く根付いていくような気がします。

 

 地元商店街がそれぞれ競うようにド派手な行燈を披露する行燈行列がありました。

 行燈に乗ったハッピ着た粋なオジサンの 

「エイヤーサー エイヤーサー!」

という大きな大きなコールに我々観衆も

「エイヤーサー エイヤーサー!」

とレスポンス。

 

 エイヤーサーに何も意味はない。

 原発とめろ!でも、オスプレイかえれ!でもない。

 ただ、ただ大きな声でエイヤーサー!エイヤーサー!!

 

 誰に宛てたメッセージ?

 こんなとき便利に登場、土地の神様。私たちはただ、「元気です!ありがとうございます!」とこの土地の神様に伝えているのかもしれません。

 

 

 

 

 目下ダイエット中のリンちゃん。白米断ちを決意した彼女から結構な量の白米をもらいました。

 「でもこの家に炊飯器なんてないヨ!」

 「鍋でイケルイケルー!」

 ということで、家にあるラーメン作るような小鍋で炊飯してみました。

 

 炊飯ジャーはないけども、私には「情報」があるッ!

 スマホで「炊飯 鍋」で検索すると出るわ出るわ簡単な米の炊き方。

 

 小学生の頃、飯盒炊爨やった記憶はあるんだけど、その時私は米当番じゃなかった気がする。カレーの具をひたすら切っていた気がする。

 なのでこれが人生初の「鍋で米を炊く」。

 

 計量カップなんてものないので、食べ終わったヨーグルトの蓋を活用して米を計る。ただし、何にも計れてない。きれいに擦切り2杯入れたところでこれが一体何合なのか、水はどのくらい必要なのか全くわからない。全く無意味な計量。まあ次回に役立つだろうと。

 

 水の量は今まで見てきた炊飯ジャーの記憶を頼りに、適当に入れる。

 

 沸騰するまで強火。

 沸騰したら底から軽くかき混ぜる。

 超弱火で15分。

 香ばしい匂いがしてきたら火を止めて15分蒸らす。

 できあがり。

 

 意外と手順は簡単。

 しかしこういう単純なものほど奥が深い。

 

 初めての「鍋で米を炊く」は水が多かったのか、べちゃったとしてしまった。

 だけどね、香りがちがうの!米の香りが炊いてる間からぷんぷんするの。

 それが超しあわせなの。

 

 いつか米が食える日のために。私は以前買っていたレトルトのキーマカレーをかけて食べた。

 

 美味しすぎて美味しすぎて、ずっとにやにやしてた。

 やっぱり米なんだな。と。

 

 という米を炊いた話を今日は朝から仕事場でいろんな人に話してまわった。

「きのう、わたし、鍋で米を炊いたんです」

 みんな好意的に米を炊いた話を聞いてくれた。やさしい人たちだ。

 ある人は「前日から仕込め」ある人は「蜂蜜を入れてみろ」ある人は「土鍋うめえぞ」ある人は「おこげが出来たら一人前」ある人は「米はすばやく研げ。とにかくすばやく」

 と、各々の米助言をくれた。

 みんな米にいろいろ持ってるんだなーと感心してしまった。

 

 

 北海道に来てからの日記はいよいよ「雑話」らしくなってきていい傾向。これからもこの調子で。

 

 

楽しかったことなんて、書けるかしら。

 とても簡潔に楽しかったことを。書けるかしら。

 さーさんにマイルドシャンプーで鬣や尻尾をわしわしと洗われるブチ模様のごまふく。はじめての事態にはじめはビビりまくりのごまふくでしたが、次第に心地よくなってきたのか大人しくなりました。

 ごまふくの至福顔に男三人とそれを見ていたわたしと楽しげな声に寄ってきた「かーちゃん」もふくふくと笑みがこぼれます。

 「よっしゃ、キレイになったべ。流すぞ」

 さーさんがブリキのバケツにいっぱいの水を汲んで、そのままバシャ―!!!!っとごまふくにかけました。ごまふくはまた全力でビビり、少し暴れます。取り押さえる男たちは必死です。

 さーさんはまたバケツの水をバッシャー!!!!!!とぶちまけます。その度に男たちも容赦なく水を浴びています。そんな事はさーさんには関係ありません。構わずまたぶちまけます。

 あまりに豪快な浴びっぷりに私とかーちゃんは大笑いしてしまいました。ここでは人間よりも馬が中心なのです。

 さーさんの容赦の無さ、濡れる男たちの潔さ、ごまふくの困り顔、どこまでも青い空。もうなんだか総て楽しくなってきます。ぜんぜん何でもないことなのに、きらきらしてどうしようもなく面白くなってしまう瞬間です。

 かーちゃんは豪快に笑う子なのでわたしもつられて腹から大笑いしてしまいます。

 わたしたちの笑い声につられて、男三人も大笑いしてしまいました。

 あぁ、あの瞬間のさわやかさといったら。。。

 楽しかったなぁ。

 その日の午後、親方の「今日ジンギスカンすんべ」の一言で営業後ジンギスカンバーベキューをすることになりました。

 人生初のジンギスカンでした。とてもとてもとても旨しです。

 北海道の海鮮もガンガン網で焼きました。その量がほんとうに多くて、食べても食べても尽きなくて、もうこんなの幸せすぎる!と思いました。

 さーさんは文句を言いながらも「こういうのは得意なんだよ」と言って菜箸を離しませんでした。わたしは雛鳥のようにただただ皿を突き出しさーさんからの配給を待つという体たらく。

 あぁーおいしい!おいしい!おいしい!!と肉も野菜も海鮮もついでにメロンも食べていると「喰いっぷりがいい」と更に配給がハイスピードかつ大量になっていきました。

 次第に周囲が気づき始める、「こいつ、喰うッ!!」という空気にめげずに、立ち昇る煙の最前線を陣取ります。

 アァ、学生の頃だったら恥ずかしがって少食ぶっただろうに、二十歳超えれば恥も薄れていくんだなァと妙にしみじみしながらラムちゃんを頬張ります。

 皆が箸を休めしばしご歓談な雰囲気になってもわたしはまだ煙の最前線でさーさんの配給待ちをしていました。

 さーさんはずっとわたしに肉を与えてくれました。や さ し い。

 犬のブランがずっとわたしの傍から離れません。うーくんに「犬もわかるんだなぁ、一番喰うやつのこと」と言われ、飼い犬の本能って凄いなぁと思いました。

 

 その日お休みだったリンちゃんが黒タピオカミルクティーを作って来てくれました。これがメイドインTAIWANの味ダヨ!と笑っていました。

 おいしいのね。ほんとうにおいしいのです。

 アァ、きらめきごはん。

 今日は休日でした。いつもと同じように五時に起きます。最近では五時ちょっと前にはパッと目が覚めるようになりました。

 彼氏に「ぺこちゃん、最初の二週間が勝負だよ。何が何でもの気持ちで生活習慣を整えてね」と言われていましたから、二週間過ぎた今、わたしは「

勝った…!」のです。

 今日は食道楽まっしぐらで富良野を観光しようと決めていたので朝食は控えめにしました。

 朝食が終るのを図ったように六時半のテレビ体操が始まります。今日はラジオ体操第一と第二のコンボ。全力でやるとすごい身体に効いて来ます。寝ぼけていた呼吸器官に血が廻ります。

 わたしの身体は燃費がかなり悪いのでテレビ体操しただけで朝食の半分のエネルギーを消費してしまったような気がします。シリアルを食べたい気持ちをグッと抑えてフックブックローを観ます。続くまいんちゃんの誘惑に負けそうになるのでここでチャンネルを変えます。

 いつものように仕事場まで送ってもらい、朝の水やりだけ手伝わせてもらい、うーくんの自転車を借りて遠足スタートです。

 自転車借りたはいいのですが、目的地が丘の上なのできつくて押して歩きました。リュックサックにキャップ被ってジーパン履いて、わたしはどこからどう見ても遠足人。北海道を自転車で旅する若者像そのものです。そんなある種の北海道らしさを車をとばしてわたしをグングン抜かす観光客にサービスしつつ目的地のハーブガーデンに到着しました。

 

 ここから遠足が始まるわけですが、もう眠くなってきてしまいました。今日はとにかく沢山歩いたのです。

 明日も朝からエンヤコラなので今日はここまでにするとします。

 おやすみなさいませ。

ある日の昼下がり

*

 富良野は快晴がつづいています。

 朝は長袖パーカーを羽織、温かい紅茶が恋しいほど涼しい、というか肌寒い。なんて本州の皆様には信じられないかもしれませんが、これが北海道の夏です。

 八時くらいには陽もまぶしくなり平均して25度、「今日は暑いねぇ」なんて言いあう日でも28度くらいです。湿度は50%くらい、風もここちよく吹き、洗濯物もよく乾きます。クーラーどころか扇風機も団扇も必要ありません。

 素敵でしょう。

 もう、夏の埼玉なんぞにゃ戻れない身体にしまっているかもしれません。

 そんなきもちのよい晴れた午後。とってもいい天気だというのにお客さんは一向に来ません。

 わたしはカメラをぶら下げてぐるーっと馬小屋や牧草地を歩いてまわります。

 くすみのない澄んだ青空と白い雲、生い茂る緑。それらが合わさってできる木漏れ日。わたしはコローの風景画を思い出します。

 「よくあるきれいな風景」といっちゃあ、そうなんですが。やはり牧歌的な風景というのは何度でもどんな時代でも人の心をあやしてくれます。屈託の無い赤子に戻れるような気がします。

 実際にわたしの心はどんどん純化されているんじゃないかと思います。

 馬小屋を覗くとシロとクロのぶち柄の「ごまふく」という名の馬が男三人に取り押さえられていました。

 男三人を仮に「さーさん」「くーさん」「うーくん」と呼ぶことにしましょう。

 「さーさん」は長年馬の調教をしてきた馬のプロです。どんなわけがあったのか定かではありませんが、わたしよりも少し後にここに勤務し始めました。さーさんは今ごまふくを一人前の乗用馬にすべく毎日調教しています。余談ですが、さーさんは今前歯が抜けてしまっていて半分何を喋っているのか聞き取れません。本人も自分が何を喋っているのかよく判らないと言っています。そんな状況ですが、毎日一緒にいると不思議なもので、だんだん何を伝えているのかが判ってくるのです。さーさんはよく文句らしいことを言いますが、そんな性格のうらにとても優しい部分があるのも判ってきます。

 

 「くーさん」はここで長く働いています。くーさんは馬だけでなく色々な狩猟や釣りにも詳しい人です。いつも馬小屋でお仕事をしているのであまり一緒にはいませんが、時々寮から仕事場まで車で送ってくださいます。前回日記で書いた軍歌が車内で流れる、という方はくーさんです。馬が柵から飛び出して逃げてしまった時に、俊敏にロープでつかまえていました。「あぶなかったなぁー。冷や汗かいちまった」と言っていましたが顔は笑っていました。

 「うーくん」はわたしと同じ日に入りました。先日うーくんがわたしの二つ年下だということが判明しました。うーくんは自分が最年少であることにちょっと不服そうな感じではありましたが、今ではなにも気にすることなく私を同い年か年下のように扱いっているような気がします。うーくんはなんとなく平成生まれの匂いがしません。お昼ごはんはリンゴを丸齧り、休憩中はカバーのとれた文庫を読み、犬のブランとよく相撲をとっています。

平成男子のチャラさではなく昭和男子のヤンチャさを感じます。

 そんな男三人に取り押さえられたごまふく。アパルーサという馬種でさーさん曰く「頭のイイ品種だで。芸仕込めば大道芸もできるぞ」

 男三人のことを書いたところで腹の減り具合が限界を達しました。つづきは夕飯後。。

そよそよ

*

 家族が大家族になった。仕事場のはなし。

 この三連休を皮切りに富良野は観光シーズンを迎えました。ちょうどラベンダー畑が見頃なのでそれを目当てにいらっしゃる方が多いのです。

 繁忙期となると私の他にも五人のアルバイトが入りました。私と同日に入った青年しかバイトが居なかった頃は、といってもほんの二週間前なのですが、その頃は人手が少ないのでお仕事も多く、毎日「今日も身体使ってるなぁ!うんうん!」てな感じで身も心も充実感に溢れていました。肉体労働するとご飯がきらめくように美味いのです。

 私はそのきらめきご飯のためにといってもいい程毎日汗をかきかきエンヤコラと働いてきました。

 しかし、人出が増えると、楽になりました。仕事量が減ってしまうのです。私は受付を担当する比重が重くなり、馬の世話仕事があまり出来なくなってしまいました。

 お客さんがいつ入ってくるかわからないので、受付にほとんど張り付いていなくてはなりません。

 この手は空いているのに、離れようにも離れられず掃除も干し草の交換もあまり出来なくなってしまいました。

 番をしていると歩数計の数値も芳しくありません。汗もそれほどかきません。ご飯も美味しいですが、以前のようにきらめいたりしていません。

 思うようにいかないのが世の常です。自分を満足させる何か良い方法がきっとあるはずです。自分で考えなくては。

 

 

*

 寮から仕事場まで車で送ってくださる方の車内で軍歌が流れる。わたしたちは黙って軍歌を聴いて仕事場に向かう(不思議と言葉が出なくなる)。

 こんな経験はなかなかないので、噛み締めるように軍歌を聴いている。特攻隊員の語りが入ったものはその日一日中私の耳にこびりついて離れなかった。

 

 

*

 もう3日になる。馬のつなぎ場に菫色の小さな蝶々が遊びに来ている。朝、来て、八時の水やりをしようと水を汲んでいると、どこからかやってきて、そよそよと着いてくる。

 まだ眠たそうな馬たちのまわりをそよそよとご機嫌に飛んでいる。馬たちは虫が嫌いだが、この菫色の蝶々に関しては了解している節がある。

 ちょっと神経質なサラブレッドの白馬も鼻の辺りに飛ばれているのに払い除けようともしなかった。蝶々はうれしそうに飛んでいるのだ。

 白馬と菫色の蝶々のツーショットはディズニー映画のよう。

 ルナールの『博物誌』が好きだ。ルナールの生き物への眼差しが好きだ。「動物めっちゃ好きです!」っていう人は正直苦手だと最近気づいた。

ルナールの眼差しがちょうど好い。って最近改めて思う。